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私が存在する価値があるように…。かおりん第2の誕生日

父の命日は1月12日。

命日には、いつも父のお墓へ行って、
なんとなく父と話しをしてきます。

本当に本当に
お父さん ありがとう・・・

 

思えば24年前。

当時59歳、全く現役でほとんど病気をしない元気な父。
前日も、普通に「ただいま~」と帰ってきて
じいちゃん子だった、4歳のリオが
お決まりの「じっちゃーーーん」と飛びつき、
いつものように、ご飯を食べ、いつものように
お風呂に入り、そして、母と一緒の布団で眠り・・・

朝起きたら、息を引き取っていた。

こういう死に方があるんだなぁ。と。

全く思いもかけないことが起きると、
人間って思考と感情が止まる。

この時、障害児のマヤは丁度1歳、
普通なら、歩き出して目が離せなくなってる頃、
当然、まだ全く寝たきり状態のマヤ。

1年前に、生まれてきた第2子が重度の障害を持つという
人生がひっくり返るくらいの経験をし
その1年後に、突然愛する人がいなくなる・・・

びっくりしました。

そして、忙しい・・・

 

お葬式って、びっくりするくらい忙しい。
そりゃそうだよね、結婚式みたいに事前準備とか
リハーサルとかないもんね。

 

実際、悲しんでいる暇はない(ーー;)

でも、この時の経験、これはこれで後に役に立ったんです。
突然の時に、何が困って、どんなことをしといた方が
いいとか、わかったんで・・・反省点も含み。

なんでもやっとくと、役に立つもんだなと。
冠婚葬祭のかおりんと言われたりして・・・

 

そして、初七日が終わって
(初七日は葬式の後そのままやってしまう。)

なんか、「お父さんごめんね」って思った。

最後の最後まで、「まぁちゃん(マヤのこと)は
かわいい、まぁちゃんが心配だ、
まぁちゃんはかわいい、まぁちゃんが心配だ」

心配して死んでった。

ひと段落して、しみじみ・・・泣けたかな。

この時、父に感謝することはできてなかった。

 

次の日から、てんかんの発作を起こすマヤが
1ヶ月治療入院すること決まっていたので
病院の付き添い、そして、家に帰って
葬儀後のこと、四十九日までは毎週法事、
めまぐるしく過ぎる。

その頃、母が復活してきたので、
病院の付き添いを変わってくれた夜、

久しぶりに、お風呂に湯船に浸かって、のんびり・・・

 

そん時、「あぁ~私の人生ってなんだろ、
もう死んでもいいかも。そしたら楽になるかも」

死んだ方がいいかと考えてた。
たぶん、そうとう疲れていたんだと思う。

私が死んだら、誰が葬式に来るかなって
イメージしてみた。
(なんせ、葬式したばっかだったから)

あの人は来るだろうな、そしてきっと泣いてくれるな。
あぁーあの子は、めちゃめちゃ泣くな~
すごい泣き虫だもんな。
きっと、2人でやった、あれを思い出すわ。
あの子は、凹むだろうなぁー、
私がいなくなったら、誰に相談するんだろ?
あの子は、○○から連絡が来て、○○誘ってきて、
あの人は、付き合いでくるかな・・・

って、100人まで数えて、

こんなに私のために来てくれる人がいるのに
死んでる場合じゃないな。

と、元気になり

よっしゃ、がんばるぞ!!お~(^o^)/ と、

ここからが、新しく生まれ変わったかおりんの誕生。

 

人は簡単に死んじゃうかもしれない、
でも簡単に死んじゃいけない。

そして、生きていく以上、価値のあるもの、
意味のあること、1日1日を大切に生きよう。

私が存在する価値があるように・・・

この経験で、この先何があっても、動じる事なく
乗り越えていける強さが身についたんじゃないかと思った。

その強さは、より強い人と繋がり、変化する力に、
そして、弱い人を助けることができるのでは、と・・・。

あの日が私の第2の誕生日になった。

 

 

そして、今24歳。
その時には出逢っていなかった人達に囲まれ
最幸に幸せになっている。

本当に生きててよかった。

そして、これからも、当たり前ではない
あることに感謝して、大切に生きていこう。

お父さん、私に命をくれてありがとう。

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