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赤穂義士祭in泉岳寺。今日12月14日は忠臣蔵の討入りの日

先日ご縁があり泉岳寺にお参り行って来ました

泉岳寺と言えば

歴史的美談となった忠臣蔵の赤穂浪士四十七士のお墓があるお寺!

http://www.sengakuji.or.jp/about_sengakuji/keidai_info.html

 

 

都営浅草線・泉岳寺駅の改札を抜けると

赤穂義士の名が!

 

そして泉岳寺に着き

大石内蔵助の像がお出迎え

本堂に挨拶し奥へ進み

大量のお線香を手に

浅野内匠頭のお墓

その奥に

四十七士のお墓があり

挨拶をしながらお線香を置いてきました

 

本日12月14日は赤穂事件(忠臣蔵討入り)の日という事で

赤穂義士祭があるらしいのだか

スケジュール的に行けないので、来年は行きたいなと…

 

そそ

この赤穂事件

が多くの人に知れ渡ったのは歌舞伎の

仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)

から有名になったらしい

 

—本当の事件として「赤穂事件」Wikipediaより—

赤穂事件(あこうじけん)は、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城松之大廊下で高家の吉良上野介(きらこうずけのすけ)義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩が切腹に処せられた事件。

さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石内蔵助良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央、 小林央通、 鳥居正次、 清水義久らを討った事件を指すものである。
なお、浅野が吉良に斬りかかった理由は、史実としては不明である。

赤穂事件を扱ったドラマ・映画等では、浅野が、吉良から要求された賄賂を拒否した事で起きた吉良による嫌がらせを原因として描かれ、また主君の浅野に代わり、家臣が、吉良を討った「仇討ち」事件として描かれることが多い。

しかし、事件当時、「仇討ち」は、子が親の仇を討つなど、目上の親族のための復讐を指した。

本事件を、「仇討ち」とみなすか「復讐」とみなすか、その意義については論争がある

——————————————————————

 

浅野が吉良に切り掛かった理由は、史実としては不明である

とありますが

「吉良は人格者で町人たちにも好かれていた」

「浅野は狂ったアナーキストだった」等々色々な話はありますが

 

最終的な「主君の仇討ちをし、四十七士は自害する」という美談にフォーカスし

作ったお話が

仮名手本忠臣蔵

なのです。

 

歌舞伎という事で役名も違います

大石内蔵助(おおいしくらのすけ)=大星由良助義金(おおぼしゆらのすけよしかね)

浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)=塩冶判官高定(えんやはんがんたかさだ)

瑤泉院(ようぜんいん)=かほよ御前(かおよごぜん)

吉良 義央(きら よしひさ)=高武蔵守師直(こうのむさしのかみもろのう)

 

が…

もっと違うのは

塩冶判官(浅野)が師直(吉良)に斬りかかった理由です

 

師直(吉良)が、塩冶判官(浅野)の嫁、かおよ御前(瑤泉院)を気に入って居てアノ手コノ手で近づこうとする

それを知った旦那の塩冶判官(浅野)が江戸城松之大廊下で師直(吉良)を斬りつける

 

歌舞伎なので随分強引な切り口でモメさせたんでしょうな

 

忠臣蔵と言えば、立川志の輔さんの「忠臣ぐらっ」がお見事!

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