夢は叶えるもの。死ぬまでマジックの世界で生きていくという覚悟が、奇跡を現実に変えたー全米No.1マジシャンMASAYOさんー
ディープな『ナゴヤビト』をご紹介。
今回は、愛知県出身で、アメリカ最大級のマジシャンの大会で優勝経験もある全米No.1マジシャン『マジシャン MASAYOさん』をご紹介いたします。
全米No.1マジシャン『マジシャン MASAYOさん』プロフィール
愛知県豊田市出身、福井県あわら市在住。
世界各国で活躍し、数々の賞も受賞しているマジック界の重鎮のマジシャン、カズ・カタヤマさんに師事。
2019年アメリカ最大級のマジックの国際大会にて優勝・ピープルチョイスのW受賞。マジック界のオリンピック日本代表。世界で称賛されるロープマジックは必見。魅せられるマジック、魂が宿るマジックで人々を魅了、活躍中。
きっかけは社長の提案。マジックという未知の世界へ
ーー本日はよろしくお願いいたします。
全米No.1マジシャンという肩書から、いろいろとお聞きしたいことがたくさんですが、MASAYOさんがマジシャンとなったきっかけは何だったのでしょうか?
元々は、タレント事務所に入っていて、歌手を目指していました。マジックをやるつもりはなかったんです。ある時、所属事務所の社長に呼ばれて、「歌って、踊って、マジックするように方向転換していく!」と言われました。
私は、マジックをしているから器用なタイプだと思われるのですが、実は不器用でかなりおっちょこちょいなんです。社長から突然そんなことを言われ、「できるわけない!」と思い、そこから1か月間エジプトに海外逃亡しました(笑)当時は、連絡手段は国際電話しかなかったので、あえて気軽に連絡をとることができない状況を作りました。
エジプトには友人がいたので、しばらく身を寄せさせてもらいました。その友人は、エジプトで考古学を学んでいたのですが、その友人と過ごし考古学の世界に触れる中で、少しずつ考え方が変わったんです。長い歴史の中からしたら、自分の悩みなんてちっぽけに思えたんですね。
また家を離れることで、親のありがたさというものを改めて感じ、父に「なんでもチャレンジ!」と言われていたのを思い出したのも大きかったですね。そこで、一度チャレンジしてみよう!と思い、日本に帰国しました。
ーーまさかそんなことがあったとは…そこからマジックを始めることになったのですね。
はい、そんな経緯でマジックをやってみたら……その楽しさにドハマりしちゃったんです(笑)
何かやった後のお客さんの反応が早いのがマジックなんです。歌にも近いものがあるとは思います。自分がマジックをすると、すぐに反応が返ってくる。
嬉しい反応がどんどん積み重なって、喜びがミルフィーユ状に積み重なるのがすごくて…本当に楽しい!と思いました。これがマジック人生の始まりです。
365日のうち400公演開催とマネージャー兼務の日々
ーー独立のきっかけは何だったのでしょうか?
独立前は、事務所所属の3人メンバーでマジックをやっていました。
1年365日のうち400公演とかなりの稼ぎ頭で、大人気のグループでした。グループにマネージャーが2人付いていたのですが、忙しすぎてそのマネージャー2人ともがバタバタと辞めてしまい…ついに私がメンバー兼マネージャーとなり活動を続けていました。
毎日深夜まで仕事をしていて、家族にも迷惑をかけていましたね。そんな忙しい日々の最中、私の車が壊れたんです。今まで仕事のほとんどは車で移動していたので、車がないと公演にもいけない、困ったなと。
ふとその時、車が私自身の体の代わりに壊れてくれた気がしたんです。そこで「やめる!」と決め、独立する流れになりました。
大失態をした初めての国際大会。本当のマジック人生がスタートした運命の出会い
ーー独立してからは、大変なこともあったんじゃないでしょうか?
本当その通りなんです。独立してみたものの、今まで事務所所属で活動していたため、マジック界のことは何も分かっていなかったんです。ゼロからスタートという形でした。
そんな中、タイで開催されるマジックの大会に出ました。結果からいうと、全くなにも出来なかったんです…。大恥をかいて、どん底に落とされましたね。そんな状況の私だったので、会場にいる人たちは誰も声すらかけてくれませんでした。
大会期間中は、参加者はみんな同じホテルに宿泊で、ホテルの朝食会場などでも私は1人でした。ある時、朝食会場で「1人で来たの?」と声をかけてくれた人がいました。それが今の師匠、カズ・カタヤマさんとの出会いです。実は師匠は、私が参加したタイの大会のメインゲストで、マジック界でかなり有名な方だったんです…!
東京にある有名なマジック用品専門店『マジックランド』もこの大会にショップとして出店していて、ここのママさんにも、話しかけて頂きました。師匠とマジックランドのママさんが私に声を掛けてくださったことがきっかけで、そこから他の方も声をかけてくださるようになりました。本当に有難かったですね。
タイから帰国後、お世話になったマジックランドのママさんに「カズ・カタヤマさん(師匠)に電話してみたら?」と背中を押していただき、師匠に頼み込んで弟子入り志願をしました。
ーーこのタイの大会で、師匠さんとマジックランドのママさんに出会っていなければ、今のMASAYOさんはいないということですね!
本当その通りですね。タイの大会での出会いのおかげで、私の本当のマジック人生が始まったんです。師匠に弟子入りをして、今年で14年になりました。
死ぬまでマジックをしていくためには?ー全米No.1までの道のり
ーー全米No.1までの道のりは、どのようなものだったのでしょうか?
『死ぬまでマジックしていくためにはどうしたらいいですか?』
私が師匠に弟子入りした時に、師匠にした質問です。
師匠からは、「マジックを続けていくためには、名のある大会でタイトルを獲るしかない」と言われたんです。タイの大会での大恥もありましたが、それ以外にも数々の失態をし、師匠にこう言われるまで、私は二度と大会には出ないつもりでした。
死ぬまでマジックをしていくためには大会に出るしかない、やるからにはロープマジックでしか出たくない!と思いました。たくさんの人から、「ロープマジックは地味だからやめておけ」と言われましたが、師匠と私だけは「出来る」と信じていましたね。できると信じ、師匠とともに、5〜6年前から一からロープマジックの研究をし始めました。
日本で一番レベルの高いコンテストにも出場し、その次に2019年開催のアメリカ最大級のマジックの大会に出場を決めました!
子育てしながらでしたが、毎日4時間かかさずにマジックの練習をしました。
キッチンにも、大きく「全米No.1」と書いて貼っていましたね。
ーータイトルを獲るなら一番しかない!という強い覚悟でのぞまれたんですね。
そしていよいよ、アメリカでの大会本番当日を迎えました。世界の大舞台を前に、私はかなり緊張していました。そんな中、本番直前にまさかと思うようなトラブルが色々起こったんです。しかし、私の出番のギリギリになんとかトラブルは解決し、興奮状態のまま本番へ(笑) トラブルが起こってくれたおかげで、緊張する間もなく本番に臨むことが出来ました。
はたから見たら大変な状況だったかもしれませんが、神様が私にプレゼントをしてくれたのかなと思いましたね。最終的に、すべてが上手くいき、そのおかげで全米No.1のタイトルを勝ちとることができました。
「夢は叶えるもの」「奇跡は現実にできる」ということを伝えたい
ーー今後やっていきたいことは何でしょうか?
今までお話してきたように、こんなおっちょこちょいな私でも全米No.1になることができました。2019年秋には、スピルバーグ監督やモハメドアリも会員にいる、世界中のマジシャンの憧れの聖地・ハリウッドにある『マジックキャッスル』というアメリカの会員制クラブにも出演させていただきました。
今の世の中は、何でもスマホなどで簡単に調べることができ、それが良い面でもありますが、色んな情報があふれすぎて、夢を思い描く間もなく現実に向き合っている子どもたちも多いのではと思います。
奇跡は現実にできるんです。みんな誰しも、すごい可能性をもっています。やった分だけ、動いた分だけ、必ず何か返ってくるんです。
子どもだけでなく、大人も夢を叶えていってほしい。
夢を叶えて輝いている大人の背中を、子どもたちに見てほしいなと思います。
未来ある子どもたちに、マジックの面白さもですが、私自身の背中をみてもらい、あきらめないでチャレンジしていくことの大切さを伝えていきたいですね。
ーー全米No.1になるという偉業は、奇跡を現実にするという覚悟と行動の結果だったんですね。マジックに人生をかけるMASAYOさんの、熱い思いと情熱が伝わってきました。MASAYOさんの魂が宿るマジック、是非たくさんの方にみていただきたいです!本当にありがとうございました!
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MASAYOさんの魔法のようなマジックも少し見ることができます♪
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