17才の硫黄島
ご先祖様に硫黄島で亡くなって,未だにかえっていない人はいるはず。
11,000人以上の方がまだ硫黄島に埋まったままで、日本人に忘れられている。
少なく見積もっても、日本人の1万人に一人は、硫黄島で亡くなった方の身内がいるはずです。
硫黄島(いおうとう)は日本 東京都です。
でも一般人は行くことができない自衛隊の基地がある島。
火山活動が活発な島。
この辺でここしか飛行場の作れる島がなかった。
だから日本もアメリカも手に入れたかった。
この飛行場から東京大空襲に飛んで行った。
この島で先人が頑張って戦ってくれたから、沖縄に攻撃しに行くのが遅れた。
そのおかげでたくさんの人が沖縄から避難できた。
いまでも硫黄島の防空壕の中の壁は、黒く焼け焦げている。
海水をポンプで吸い上げて、壕に流し込む水攻め、そのあとそこにガソリンを流して火をつける。
瞬く間に火は奥まで燃え広がり、中にいる日本兵は地獄絵図。
それから毒ガス攻めもあった。
そして火炎放射器で焼かれた。
そんな中日本軍兵士は何十日も飲まず食わずで戦った。
自分の身体に吸い付いた。ノミ、シラミ、ウジ虫を食べた。
隣の負傷兵の手から流れる血もすすった。
いのちの灰、
ある時木の燃えた炭を食べた。甘くておいしかった。
それでも生きぬいた。
三途の川が見えた。
気が付いたらグアムの捕虜収容所のベッドの上だった。
生き残りの証言、17歳の硫黄島(秋草鶴次)より。
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