「開戦の詔書」
昭和天皇の開戦の詔書 …
昭和天皇の開戦の詔書 …
大和道史
8月6日に広島上空に投下された通称「リトルボーイ」は「ウラン235型原爆」、8月9日に長崎に投下された通称「Fat…
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戦争が終わって、第一回目の遺骨収容が戦後7年経ってからだったそうです。そのあと20年以上もの間ほったらかしになっていたという事実があります。その間に、島には元々
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硫黄島の激戦地では、何十年たった後も心霊現象が絶えませんでした。 しかし天皇陛下が訪問し慰霊をしてからピタッと止まったそうです。…
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投降 会議 …
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前回のお話の続き 豪雨…
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前回の続き…
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「英雄なき島」より …
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硫黄島になぜこだわるのか、新藤先生のこの動画をぜひ見てください。 戦時中、米軍の日本の本土上陸を一日でも遅らせるために、日本兵は玉砕せずに戦った。&h
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硫黄島の第一回目の遺骨収容は、戦争が終わって、7年経ってからだったそうです。それまでほったらかし。その後、20年以上もの間さらにほったらかしになっていたという事
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現在、硫黄島では、毎年、日本とアメリカの硫黄島協会が主催し、慰霊祭をしています。これは国の主催ではなく、民間の主催なのです。…
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ご先祖様に硫黄島で亡くなって,未だにかえっていない人はいるはず。11,000人以上の方がまだ硫黄島に埋まったままで、日本人に忘れられている。&hel
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「硫黄島最後の二人」山蔭光福、松戸利喜夫、(読売新聞社)…
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硫黄島で生き残った人の話。 (写真は硫黄島の医務課壕の中にあったドラム缶)…
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昭和20年、硫黄島の戦いで1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出したアメリカ軍が硫黄島を占領した翌日3月16日、摺鉢山近くの岩山の穴から片足を失った日本の陸
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今日は昭和の日 昭和天皇のお誕生日です。そこで東京大空襲の前の硫黄島について。…
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