原爆
8月6日に広島上空に投下された通称「リトルボーイ」は「ウラン235型原爆」、
8月9日に長崎に投下された通称「Fat Man」は「プルトニウム型原爆」、
どちらも核爆弾ですが、両者は種類が異なっていたという事実。
原爆投下は、その残虐性、大量殺戮性、無辜の市民に対するはなはだしい虐殺行為として、チェルノブイリやフクシマ原発どころではない、人類史上最悪の出来事として記憶されるべき事柄です。
この核爆弾投下によって、
広島では20万人の市民が犠牲になり、
長崎では14万9000人の市民が犠牲になりました。
しかもただ死んだだけでなく、原爆の熱戦を浴びて、その何倍もの多くの人が、苦しみ続けました。
「なぜ種類の異なる原爆が使用されたのか」
原爆投下のあと、米国で原爆開発のマンハッタン計画を担当した ロス・アラモス研究所は、次のステートメントを公式に発表しました。
「我々は、史上二度の『原爆実験』に成功した」
あの二度にわたる原爆投下を「実験」と述べているのです。
つまり、「実験」だから、広島と長崎それぞれに、あえて種類の異なる原爆を投下したというわけです。
なぜ彼らはわざわざ種類の違う原爆を「実験」したのか。
いまだにこの二つの原爆投下について、
「軍国主義化し侵略国となった
枢軸国の日本を懲らしめるために、
アメリカは原爆を落した」
という人がいます。
困ったことに、そのような「でまかせ」が日教組教育によって日本の子供たちに刷り込まれ、多くの日本人が、無批判にそんな「痴れ言」を何も考えずに受け入れています。
しかし「懲らしめるため」だというのなら、「実験」はありえません。
そしてたとえ「懲らしめるため」であったとしても、広島長崎合わせて35万人の人命を奪うことなど、決して行ってはならないことです。
では、日本への原爆投下の本当の理由はなんだったのでしょうか。
これについて歴史学者のバーンスタインが次のように述べています。
「日本への原爆投下は
ソ連を威嚇することが根本理由であり、
ソ連の影響力が
日本、満州、China、Koreaに及ぶことを阻止するために、
いわばソ連に対する威嚇攻撃として、
日本に原爆を投下したのである。」
しかしその目論みは大失敗に終わったのみならず、むしろ「火に油を注ぐ」結果となりました。
なぜなら米国による原爆投下の3日後には、ソ連は一方的に日ソ中立条約を破棄して、対日戦線に参加しているのです。
そして日本の同盟国である満州国に攻め込み、日本の領土である樺太、千島に侵攻しています。
米国のトルーマン大統領は、次の公式声明を出しています。
***
President Harry S.Truman Address to the Nation, 6 August 1945
広島への原子爆弾投下のトルーマン大統領声明
(1945年8月6日)
今から16時間前、
米国の一航空機は
日本陸軍の最重要基地である広島に
1個の爆弾を投下した。
その爆弾は、
TNT火薬2万トン以上の威力を持つものであった。
それは戦争史上これまでに使用された爆弾の中で
最も大型である英国の「グランド・スラム」の
爆発力の2000倍を越えるものであった。
この声明は非常におかしな声明です。
広島を「日本の陸軍の最重要基地(=an important Japanese Army base)」と言っているからです。
原爆被害を受けた広島の市街地は、全部陸軍の軍事基地だったのでしょうか?
亡くなられた広島市民は、陸軍軍人だったのでしょうか?
戦時国際法は、無辜の市民の大量虐殺を「してはならない」と明確に規定しています。
すなわち、原爆投下は明らかな戦時国際法違反行為です。
米国だって馬鹿じゃありません。
広島が一般人の住むところであることくらい、承知しています。
にも関わらず、故意に広島を「日本の陸軍の最重要基地」と言っているのです。
さらにたいせつなことがあります。
それは、終戦後の昭和20年9月に日本に訪れた、米国戦略爆撃調査団が書いた「最終報告書」です。
トルーマン大統領に提出された公式文書です。
「たとえ原爆が 投下されなかったとしても、
ソ連が参戦しなかったとしても、
本土上陸作戦が行われなくても、
日本は非常に高い確率で
九州上陸作戦の決行予定日である
昭和20年11月1日から、
12月31日までの間に、
確実に降伏したであろう。」
原爆を投下しなくても、「日本は確実に降伏したであろう」というのです。
昭和20年6月に沖縄戦が終了しました。
この直後に、ブラッドレー米国統合参謀本部議長が提出した報告書には、次の一文があります。
この文書は、米国大統領宛に提出されたものです。
そこには、こう書いてあります。
「日本は既に事実上敗北しており、
降伏を準備している。」
昭和20年7月の時点で、日本はすでに制海権も制空権も失ない、陸軍も事実上、使える武器弾薬が乏しく、すでに戦える状態になかったと認識されていたわけです。
つまり米国は、あと少しすれば、日本は間違いなく降伏するであろうと、すでに「6月の時点で」見極めているのです。
日本国内には、それでも戦う、という議論がありました。
もしそうしていたなら、日本はジェット戦闘機を投下し、松ヤニから精製したガソリンを使って、米国のB29をガンガン撃ち落とし、戦争を勝利に導いた、という説もあります。
私もそうであったろうと思っています。
しかしはっきりといえるのは、仮に終戦前後において、日本にある程度の戦争遂行能力があったとしても、それはあくまで本土迎撃の範囲を出ず、すくなくとも日本が、米国本土や、フィリピンなど米国の占領地域に対してまで攻撃ないし報復する能力は、この時点でまったく残っていなかった、つまり日本が周辺諸国を、それこそ彼らの言葉でいう「侵略」を行うだけの力は残っていなかったし、そもそも日本には最初からその意思がありません。
そのことを、米国はちゃんとわかっていた、ということです。
ここで、点と線が繋がります。
つまり米国は
「米国が日本に何をしても、
絶対に日本から報復を
受けるおそれがない」
と踏んだからこそ、日本に対して原爆投下をしたのです。
一つには、ウランとプルトニウムの原爆の性能実験のため。
二つには、ソ連に対する牽制のためです。
三つには、日本との戦闘を早期に終わらせるため、です。
そしてその根底にある、真実の理由はただひとつです。
それは、
「日本に何をしても、
日本からの反撃を受けたり
報復されるおそれがない」
という事実です。
日本に原爆が投下された以降、世界各地で戦争はたくさん起こっています。
けれど、いずれの戦争においても、これまでに核が使われたことはありません。
なぜなら、相手国に核を打ち込めば、自国がその報復を受けるからです。
にもかかわらず、米国は、日本に原爆を投下しました。
しかも、悠々と「実験」のために投下しました。
なぜそれができたのか。
その時点で、日本に反撃能力がなく、日本から報復される心配がまったくなかったからです。
反撃される心配がないから、日本人は、実験材料としての「モルモット」にされたのです。
古来、モルモットは、さまざまな動物実験に用いられています。
なぜモルモットが使われるのか。
それは、モルモットが人間を襲う心配が100%ないからです。
モルモットは人間の都合で、一方的に実験材料にされます。
そのモルモットが、
「もう過ちは繰り返しません。
わたしたちは二度と実験しません」
と言ったとしても、人類は医療開発のための人類の「都合」でモルモットを実験材料に使います。
モルモットが過ちを犯したから実験材料にされているのではありません。
ここを意図的に日本人に履き違えさせてきたのが、戦後左翼であり、いまなお利権をむさぼる敗戦利得者たちです。
実は日本は、広島、長崎に原爆が投下される前に、すでに日本式原子力爆弾(これを新型爆弾と呼びました)を開発していました。
その新型爆弾は、すでに使用できる段階まで、開発が進んでいました。
そして軍の上層部は、この新型爆弾をもって、米国に乾坤一擲の大勝負を挑みたいと昭和天皇に上奏しています。
記録に残っている史実です。
そのとき陛下は、次のようにおおせであったそうです。
「その新型爆弾によって、
たとえ我が国の戦況が有利になることがあったとしても、
そのために、
相互が新型爆弾の投下合戦にいたり、
結果、何百万もの無辜の民が死ぬようなことになるとしたら、
私はご先祖に申し訳がたたない。」
陛下はそのように述べられ、原爆の製造の禁止を、その場で取り決められています。
陛下のこの御聖断は、本来は「あってはならないもの」です。
なぜならこのような政治的意思決定は、本来、政治を司る政治権力が責任をもって行うべきものだからです。
権力の行使は当然に責任を伴います。
本来、そうあるべきものです。
けれども、政治権力は、たとえばそれが戦いであるならば、戦いに勝つことだけが目的になります。
すると勝つためには何をやっても良いという判断が生まれます。
そしてそれが政治上の国家最高権力者の判断であれば、たとえそれが明らかに人の道を外れた間違った判断であったとしても、正当化され、政治権力者がその実行行為に対して責任を取ることはありません。
責任をとらないということは、無責任だということです。
早い話、会社の経営者が一切の責任を追求されることがない存在、会社の最高の無責任者であれば、ライバル会社の社員を皆殺しにしたり、パンの袋に針を仕込んで同業他社の社会的信頼を損ね、自社のシェアを伸ばすなどということも、平気で行なっても、誰もその責任を追求できなくなってしまうのです。
このようなことが起こらないために、我が国には天皇の存在があります。
天皇は国家最高の権威であって、国家最高権力よりもさらに上位におわします。
権力が戦いに勝つことを求めても、国家最高権威の御聖断は、どこまでも民を「おほみたから」とするものであり、神々の御意思に近いものです。
そして我が国では、政治が核爆弾の投下を求めたとき、陛下がそれにNOと答えられたのです。
これこそが我が国の誇りです。
ひとつの時代に戦争をしている両当時国のうちの片方は、
政治権力が原爆という名のきわめて非人道的な核爆弾を使用することを止めることができなかった。
しかもその後の時代においても、戦後70年以上を経過しても、いまだに核爆弾使用の意思決定者に対して、その責任を追求することさえできないでいる。
これに対しもう片方の国は、政治権力が原爆という名のきわめて非人道的な核爆弾を使用することを見事に制止し、戦争が核の撃ち合いに至る愚かを未然に防ぐことができた。
このことの持つ意味と凄みを、私達はもっと明確に認識していくべきです。
広島の原爆のあと、日本国政府はスイスを通じて、米国政府に以下の抗議文を出しています。
そしてその抗議文を読めば、日本が投下され爆弾を、すぐに新型爆弾(原子爆弾)だと明確に認識していたことがわかります。
なぜわかったのかといえば、日本もまた、同時期に原爆の開発を行っていたからです。
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【米機の新型爆弾による攻撃に対する抗議文】
今月6日、米国航空機は、
広島市の市街地区に対し新型爆弾を投下し、
瞬時にして多数の市民を殺傷し
同市の大半を潰滅させました。
広島市は、何ら特殊の軍事的防衛機能や、
そのための施設を施していない
普通の一地方都市です。
同市全体を、ひとつの軍事目標にするような
性質を持つ町ではありません。
本件爆撃に関する声明において、
米国トルーマン大統領は、
「われらは船渠(せんきょ)工場
および交通施設を破壊した」
と言っています。
しかしこの爆弾は落下傘を付けて投下され、
空中で炸裂し、
極めて広い範囲への破壊的効力を及ぼすものです。
つまりこの爆弾で、この投下方法を用いるとき、
攻撃の効果を右のような特定目標に限定することは、
物理的に全然不可能なことは明白です。
そして本件爆弾がどのような性能を持つものであるかは、
米国側は、すでに承知しているものです。
実際の被害状況は、
広範囲にわたって交戦者非交戦者の別なく、
男女老幼を問わず、
すべて爆風および幅射熱によって
無差別に殺傷されました。
その被害範囲は広くかつ甚大であるだけでなく、
個々の傷害状況を見ても、「惨虐」なるものです。
およそ交戦者は、害敵手段の選択について、
無制限の権利を有するものではありません。
不必要の苦痛を与えるような
兵器、投射物その他を使用してはならないことは、
戦時国際法の根本原則です。
そのことは、戦時国際法である
ハーグ陸戦条約規則第22条、及び第23条(ホ)号に
明定されています。
米国政府はこのたびの世界大戦勃発以来、
再三にわたって、
「毒ガスその他の非人道的戦争方法の使用は
文明社会の世論によって不法であり、
相手国が先に使用しない限り、
これを使用することはない」
と声明しています。
しかし米国が今回使用した本件爆弾は、
その性能の無差別かつ惨虐性において、
従来かかる性能を有するが故に
使用を禁止せられをる毒ガスその他の兵器よりも、
はるかに凌駕するものです。
米国は国際法および人道の根本原則を無視して、
すでに広範囲にわたって日本の大都市に対して、
無差別爆撃を実施しています。
多数の老幼婦女子を殺傷しています。
神社や仏閣、学校や病院、一般の民家などを
倒壊または焼失させています。
そしてさらにいま新奇にして、
かつ従来のいかなる兵器投射物とも比べ物にならない
無差別性、惨虐性をもつ本件爆弾を使用したのです。
これは、人類文化に対する新たな罪悪です。
日本政府は、ここに自からの名において、
かつまた、全人類、および文明の名において、
米国政府を糾弾します。
そして即時、かかる非人道的兵器の使用を
放棄すべきことを厳重に要求します。
昭和20年8月11日
【英文】
PUBLIC INTERNATIONAL LAW – ATOMIC BOMBING OF HIROSHIMA AND NAGASAKI WAS AN ILLEGAL ACT IN VIOLATION OF INTERNATIONAL LAW.
The Japanese Government presented a letter of protest as stated below, to the Government of the United States through the Government of Switzerland on August 10, 1945.
August 10, 1945
A New-Type, Cruel Bomb Ignoring International law; Imperial Govern-ment Protest to the Government of the United States.
With regard to the attack by a new-type bomb on the city of Hiroshima by a B-29 bomber on the 6th inst. the Imperial Government filed the following protest on the 10th inst. to the Government of the United States through the Government of Switzerland, and gave instructions to the Japanese Minister to Switzerland, Kase, to make the explanation of explanation of the same effect to the Inter-national Committee of Red Cross.
Protest against the Attack of a New-Type Bomb by American Airplane:
On the 6th of this month, an airplane of the United States dropped a new-type bomb on the urban district of the city of Hiroshima, and it killed and wounded a large number of the citizens and destroyed the bulk of the city. The city of Hiroshima is an crdinary local city which is not provided with any military defensive preparations or establishments, and the whole city has not a character of a military objective. In the statement on the aerial bom-bardment in this case, the United States President “Truman” asserts that they will destroy docks, factories and transport facilities.
However, since the bomb in this case, dropped by a parachute, explodes in the air and extends the destructive effect to quite a wide sphere, it is clear to be quite impossible in technique to limit the effect of attack thereby to such specific objectives as mentioned above; and the above efficiency of the bomb in this case is already known to the United States. In the light of the actual state of damage, the damaged district covers a wide area, and those who were in the district were all killed indiscriminately by bomb-shell blast and radiant heat without dis-tinction of combatant or non-combatant or of age or sex. The damaged sphere is general and immense, and judging from the most cruel one that ever existed. It is a fundamental principle of international law in time of war that a belligerent has not an unlimited right in chosing the means of injuring the enemy, and should not use such weapons, projectiles, and other material as cause unnecessary pain; and these are each expressly stipulated in the annex of the Convention respecting the Laws and Customs of War on Land and artices 22 and 23(e) of the Regulations respecting the Laws and Customs of War on Land. Since the beginning of the present World War, the Government of the United States has declared repeatedly that the use of poison or other inhumane methods of warfare has been regarded as illegal by the pubic opin-ion in civilized countries, and that the United States would not use these methods of warfare unless the other countries used these first. However, the bomb in this case, which the United States used this time, exceeds by far the indiscriminate and cruel character of efficiency, the poison and other weapons the use of which has been prohibited hitherto because of such an efficiency. Disregarding a fundamental principle of international law and humanity, the United States has already made indiscriminate aerial bombardments on cities of the Empire in very wide areas, and it has already killed and injured a large number of old people, children, and women and collapsed or burned down shrines, temples, schools, hospital and ordinary private houses. Also, the United States has used the new bomb in this case which has indiscriminate and cruel character beyond comparison with all weapons and projectile of the past. This is a new offence against the civilization of mankind. The Imperial Government impeaches the Government of the United States in its own name and the name of all mankind and of civilization, and demands strongly that the Government of the United States give up the use of such an inhumane weapon instantly.
Note: Japan Branch of the International Law Association, Japanese Annual of International Law, 8, pp.251-2. (Tokyo: 1964)
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原爆を「非人道的兵器」と呼び、その使用を米国政府に「放棄せよ」と言っているのです。
原爆を投下によって無差別大量殺人をしていながら、大統領声明で「広島は軍事基地だ」と強弁した政府。
無差別かつ非人道的爆弾は、人類としてあるいは国家として、これを使用することを放棄すべしと明確に主張した日本国政府。
はたして、そのどちらの主張が、理にかなっているといえるのでしょうか。
広島の平和記念公園には、「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから」と刻まれた石碑があります。
広島に原爆が投下され、長崎にも投下され、35万人もの犠牲者を出した日本の、では、いったい何が「過ち」だったのでしょうか。
すくなくとも、亡くなられた広島や長崎の一般市民が「過ち」をおかしたわけではないことは、疑いのない事実です。
では、日本という国家が、過ちを犯したのでしょうか。
何が日本の「過ち」だったのでしょうか。
戦争をしたことでしょうか。
なるほど平和な現代社会から見れば、戦争は巨大なリスクです。
けれど、その戦争によって、東南アジアはもとより、世界中の植民地となっていた民族が、国家を築き、独立を勝ち得たのです。
もし大東亜戦争がなかったら、500年続いた欧米列強による有色人種への植民地支配は、21世紀となった今日でも、なお続いていたことでしょう。
世界でただ一国、たったひとりになっても、正義のためには武器を持って戦う。
その武士道の国が、世界の有色民族を、独立へと導いたのです。
では、原爆で多くの命が失われた。
その問題における「過ち」とは、いったいどこにあるのでしょうか。
答えは簡単です。
その時点で、日本に報復能力がなかったということです。
要するに、正義には「力」が必要だ、ということです。
そうでなければ、「力」を行使する者によって、人の命も道徳も正義も、すべて踏みにじられてしまう。
それが、大変残念なことではあるけれど、世界の真実だ、ということです。
実験材料に使われて死んだモルモットが「過ちは繰り返しません」と言ったところではじまりません。
過ちを繰り返さないと決意したならば、相応の「力」を保持しなければ、日本人の命は何度でも、原爆同様に蹂躙されるということなのです。
ただ、もうひとつ、たいせつなことがあります。
それは、昭和天皇が、世界が核競争になることを未然に防ぐため、技術レベルでは原爆を開発することができ、それを米国に撃ち込むことさえできたにもかかわらず、それを人類のためにと、却下されたということです。
このことは、終戦の詔勅にも明確に述べられています。
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敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
(口語訳)
敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、
いくども罪なき民を殺傷し、
その惨害の及ぶ範囲は、
まことにはかりしれない。
このうえなお交戦を続けるであろうか。
ついにはわが日本民族の滅亡をも招きかねず、
さらには人類文明そのものを破滅させるにちがいない。
そのようになったならば、
朕は何をもって億兆の国民と子孫を保てばよいか、
皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。
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