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硫黄島の遺骨収容。

硫黄島の第一回目の遺骨収容は、戦争が終わって、7年経ってからだったそうです。

それまでほったらかし。

その後、20年以上もの間さらにほったらかしになっていたという事実があります。

その間に、島には元々無かった「ぎんねむの木」がたくさん生えて、発掘作業をより困難にしているそうです。

なぜアメリカは硫黄島を欲しかったのか、

アメリカから日本に行く距離の中間で、飛行場のある島は小笠原周辺では硫黄島だけで、

ちょうどよい場所だったから、アメリカは絶対にこの島を欲しかったのです。

日本はここを取られると日本へ上陸されることはわかっているので、

日本本土にいる嫁、子供、家族を白人の奴隷にされることは絶対に許せなかった。

なので日米両方に戦略的価値をもつ島だったのです。

栗林大将はそのために玉砕を禁止し、一日でも長く本土への攻撃を遅らせるために、

硫黄ガスと60度の高熱の壕の中で、圧倒的な戦力と物量の差がある状況下、

孤立無援の状況の中、命をかけて、砲弾の雨あられの中島中に壕を掘って戦ったのです。

日本軍、陸軍約14000名、海軍約7900名、合計約21900名が戦没しました。

(昭和16年12月8日~20年8月14日の間の戦没者)、米軍11万6千人中、2万8千人死亡という圧倒的に米軍有利の中、栗林大将の作戦が空爆をされている間一切攻撃はせずに、上陸してくるまで待って、そこから攻撃を開始した、この作戦には米軍の恐怖は想像を絶するものだったんじゃないかと思いました。

日本兵も来る日も来る日も水と食料の不足の中、雨あられのような攻撃の中どのような気持ちで戦い抜いたのか考えると、本当に感謝しかありません。

日本軍の亡くなった方2万人中、まだ1万1千人以上の方がまだ硫黄島の水のない熱い土の中に爆撃されたまま埋まっている、この事実をもっと日本人に知ってもらいたいと思います。

今も成仏できることなく壕の中で戦い続けているのかもしれないと思うと今の日本の状況にすごく違和感を覚えます。

また栗林大将が最後の総攻撃の際、通常総指揮官は後ろの方で切腹するのが当時の常識だったのに関わらず、陸軍

大将が400名の先頭に立ったという事は、日本軍の戦史には無いそうで、この総攻撃が極めて異例だったことが今

もたくさんの方に尊敬されている理由なんだなと改めて知り、栗林大将を尊敬しなおしました。

新藤元議員の「硫黄島をたくさんの人が訪れる、平和を祈る島にしたい。」という言葉がすごく心に響きました。

自分も本当に一日も早く遺骨を全員収容し、本土に連れて帰り、たくさんの人が訪れる平和を祈る島にして欲しいな

と心から思いました

第二次世界大戦の日本人の戦没者は約240万人で、遺骨収容されたのはその半数(127万柱)に過ぎない。

アメリカは硫黄島のたった一体しか残っていない米兵の遺体を未だに捜索している、これに対し日本は戦没者の数

がはるかに多いのにも関わらず、年間わずか約3億円の予算で、厚労省で遺骨収容事業に携わる職員数は30名に過

ぎない。硫黄島の戦いで亡くなった英霊は2万人、このうち1万2000柱を超える遺骨が収容できていない。第二

次安倍政権にになってようやく滑走路の下敷きになっている遺骨を含め、収容事業を本格的に推進することになった

ばかりなのです。

新藤先生のこの硫黄島レポート動画はかなり貴重です。ぜひ見てください。

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