旅の恥はかき捨て、歌詞の恥もかき捨て
旅は道連れ、世は情け
最近の若者は海外旅行に行かない人が多い、という話も聞きます。
現地に行かなくても、ネット上には世界中の情報が溢れていますもんね。
でも、なんだかもったいなぁ、と思ってしまいます。
旅と作詞
こんにちは、作詞家のMikeyです。
そういえば私、思い出したんですけど、以前は旅行に行くたびに大事なコンペがやってきて、そして採用を勝ち取ることが多かったです。
まぁ、よく考えると、ほぼ毎日のように作詞をしているので、旅行だろうとなんだろうと関係なく歌詞を書いているのが当たり前なんですが。
一番印象に残っている歌詞は、トランジットで立ち寄ったインチョン空港で受信した曲をオーストラリアで書いたものです。
(とか言いつつ写真はハワイなんですが)
ツアーではなかったのと、家族の中で私だけがほんの少し英語が出来る程度だったので、必死に旅をしながら作詞をしたのを覚えています。
振り返ると、内容はまさに旅先での心境そのもので、その必死さが伝わったのか、滞在中に修正がかかりました。
私はフリーの作詞家なので、旅行で休みます、なんて誰にも言いません。歌詞なんてどこにいても書けるし、旅先だろうと歌詞を書けるという状況こそ、私にとって幸せなことなので。
当然、電話の相手にも旅行中だなんて告げません。そのときも、オーストラリアにいるなんて言わずに修正原稿を送って、なんとか世に送り出すことに成功しました。
英語と作詞に必死になりながらの旅のことは、やっぱりすごく覚えてます。
あ、あのとき初めてカツオノエボシっていうクラゲを見ました。
砂浜に小さくて透き通ってしぼみかけた風船みたいなものがたくさん落ちてたんです。
不思議でちょっとキレイなそのなにかを、私は拾い集めました。
そのときは全然知らなかったんですが、しばらくしてから、あれが猛毒のカツオノエボシで触ってはいけないことを知りました。
私は幸いにも被害には遭いませんでしたが、触らないように気をつけてくださいね。
旅に出れば歌詞を書ける?
旅先で書いた歌詞の話をしましたが、普段は家に引きこもって捜索していることが多いです。
綺麗な海も、おしゃれな街も、私の妄想の中に存在しています。
庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」も、旅先で書かれた歌ではなく、想像の中で書かれた歌だということは有名です。
実際に現地へ行かなくても、想像で物語を作ることは出来ますが、やっぱり時々は旅に出て、その場所の温度や匂いに触れてみたいですね。
それでは、また!
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