全部ひっくるめて愛おしい「存在」
付き合いも長くなってくると、つくづく思うのは「100%理解し合えるなんてことは絶対ない」ということ。
何年付き合っていても、一緒にいても、相手をすべて分かるなんてことは、ありそうでないのだなぁとしみじみ思う。
分かろうとする努力はもちろん必要だけど、分からない部分があっていい…と。
そもそも、自分のことも100%分かっているようで分からないのに、生まれも育ちも違う異性の他人サマのことが100%分かるはずもない。
相手の「好きなところ」って?
「好きなところ」というのは、結局「自分にとって好ましい」部分であって、その人そのものの「いい」を判断していないように思う。
若い頃はここが全然分かってなかったので、自分にとって好ましくないと思ったことでしょっちゅう喧嘩をしていたような気がする。
今は、好きな人の「存在」が好き…というよりは、もうその「存在」が愛おしい。
いいも悪いもひっくるめて…つまり、自分にとって好ましい、好ましくないもひっくるめて。
自分にとって好ましくない部分もあって、それが引き金になって喧嘩になったとしても、お互いが「存在」そのものを必要としているのであれば、必ず互いが「そこ」にいつも変わらず「存在」してくれているはず。
(この感覚、私は子供を生んで育てている中で分かってきた感じだな~)
人間同士だもの、愛し合っていても、カチンときたり、腹が立ったり、一時の感情が勝って余計なことを言ってしまったり。
だけど、「存在」そのものを思う気持ちがあれば、そんなのは全然たいしたことじゃないと思うのです。
全部ひっくるめて愛おしい
甘い言葉をささやいてくれなくても、
目に見える何かがなくても、
なぜかその人といることで、自分が成長していける。
大口開けてイビキをかいて寝ていても、
お腹がちょっと出てきていても、
いっぱいダラしないところを知っていても、尊敬できる人。
全部ひっくるめて、愛おしいその人の「存在」。
その中で一番好きなのは、顔とかの外見そのものではなく、彼の人生を象徴するような「背中」。
色々なものを背負い、寡黙に黙々と歩いてきた「男の人生」そのものと思うから。
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