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100%分かり合えないのが人じゃないか?【私を変えた言葉9】

自分が好きな人とは、100%分かりあえる関係になりたい。それが友達でも、恋人でも、親子でも。

特に女性は恋愛で、この傾向が強く出る人が多いと思います。

一心同体、まさにそうなりたいと思ってしまうのですね。

だから、「どうして分かってくれないの?」と苛立ち、自分が分からない相手の部分に不安を覚え、それを増殖させてしまう…。

その不安をぶつけたとき、こんなふうに言われたことがあります。

「どんなに想い合っていたとしても、親子でも、夫婦でも、100%分かり合えないのが人ってもんじゃないのかな?」

初めてこの言葉を聞いたとき「なんて冷たい人なんだろう」と思いました。

最初から分かりあおうとすることを否定しているんだな、とも思いました。

だけど、そうじゃなかった。

分かりあえないから、分かりあおうとする努力は必要。

だけど、どんなに頑張っても分かりあえない部分があって当たり前。

その分かりあえない部分があっても、それでもどれだけ受け入れ、愛することができるか?

というところが、実は分かりあえる部分よりも大事なんじゃないか、って思えるようになりました。

100%分かりあえないから、人は人で磨かれる。

100%分かりあえないから、人は人に惹かれる。

だからこそ、小さなことでも、分かりあえたと感じる瞬間がものすごく嬉しいし、愛おしい。

それが「自分と異なる人」を認め、尊敬し、尊重し、愛することへ繋がるのだと思うのです。

だけど、世の中にはどんなに頑張っても分かりあえるどころか、傷つけあい、苦しみあう関係というのは確かに存在します。

矛盾しているようだけど、そういう人とは決別する勇気も必要だと、この年になって思うようになりました。

自分の中にあるエネルギーの源はひとつで、そのエネルギーをそこに注ぐことで、本来の自分が向けるべきところへのエネルギーが枯渇するのは、自分のためにも、自分を今必要としてくれている人にとっても不幸でしかないからです。

 

100%分かりあえないからこそ、なお、愛おしい。

そう思える関係が素敵じゃないかな、と思う今日この頃なのです。

 

特集:私を変えた言葉

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