硫黄島であった本当の話
昭和20年、硫黄島の戦いで1ヶ月近く激戦を繰り広げ、多大な犠牲者を出したアメリカ軍が硫黄島を占領した翌日3月16日、摺鉢山近くの岩山の穴から片足を失った日本の陸軍少佐が降伏のしるしのハンカチを掲げて出て来てこう言いました。
(写真は摺鉢山を米軍がとった写真、実はこの星条旗は3回日の丸に付け替えられた、そしてこの棒は地下へ命の水を送るパイプだった。)
「司令官はいないか。穴の中にはまだ有能な30名の青年達が残っている。彼らを日本のため、世界のために生かしてやりたい。私を殺して彼らを助けてほしい」と言いました。
この少佐に引見した第五艦隊レイモンド・スプルーアンス司令官は「お前も部下達も助けてやろう」と言うと、少佐は「サンキュー」と言いながら息を引き取りました。
その後、アメリカ軍は青年達が残っている穴の中に煙草や缶詰を投げ入れて、穴から出てくるよう何度も勧告しますが、彼らは全く応じずに抵抗を続けました。
5月になっても日本兵達は抵抗を続け、やがて何名かが餓死し、最後に残された者は手榴弾で自決して果てました。
(写真は栗林壕)
その爆発音でスプルーアンス司令官自身が穴に行くと、穴の入り口に英語と日本語で書かれた手紙が置かれていました。
閣下の私達に対する御親切な御厚意、誠に感謝感激に堪えません。
閣下より戴きました煙草も肉の缶詰も皆で有り難く頂戴いたしました。
お勧めによる降伏の儀は、日本武士道の習いとして応ずることができません。
最早 水もなく食もなければ、十三日午前四時を期して、全員自決して天国に参ります。終りに貴軍の武運長久を祈って筆を止めます。
昭和二十年五月十三日
日本陸軍中尉 浅田真二
米軍司令官スプルーアンス大将殿
戦後、スプルーアンス大将は全米各地を講演して必ず話していたことがありました。
「アメリカの青年達よ。東洋には素晴らしい国がある。それは日本だ。日本には君達が想像もつかない立派な青年がいる。ああいう青年がいたら、やがて日本は世界の盟主になるに違いない。奮起しろ」と。
この話はマスコミが報じることがなく、学校でも教えず、ほとんどの日本人が知らない話ですが、日本人の誇りある話として、一人でも多くの日本人の目に触れてもらいたいと思います。
写真は硫黄島の壕、中は60度以上になります。硫黄ガスも出ます。
昨年も慰霊に行かせていただきました。
ありがとうございました。 大和道史
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