〔Vol.5〕オイルショックで飛躍<おやじ編>
もちろん僕はまだ1歳である、まだ記憶はない・・・
僕の父は中学卒業後、大阪の問屋で丁稚に出て、定時制(夜間)高校を卒業してから、社長のカバン持ちとして中堅または大手の企業や工場を回ったり、自分では零細規模の町工場を開拓していたそうです。主に扱っていたのは「塗料(ぺんき)」で、自動車、造船、建築などの塗料を扱っていたそうです。
オイルショック!シンナーが手に入らない!
オイルショックになると、零細規模の町工場から「シンナーが欲しい!」「シンナーがないと仕事ができない」さらには「シンナーがないと工場が潰れる」という電話が鳴り止まなくなったそうです。
しかし、社長のカバン持ちとして大手企業や工場に出入りしていた父は、違和感を感じた・・・。
まだ大手の倉庫には、余剰のシンナーが備蓄されていたからです。
事情を尋ねると、安定して工場を稼働させるために、十分な余裕を持っているとのこと。
整理整頓の習慣が、道を拓く!
父は祖母(父にとっては母)から、整理整頓を厳しく躾けられていた。
その影響で、とても几帳面にメモをまとめたり、データを整理するのが得意というか、当たり前になっていた。さらに、取引先の倉庫内も、訪問するたびに掃除や片付けを行い、在庫などの状況をメモしていた。
そのおかげで、頭の中で、この大手倉庫の在庫を活用すれば、零細町工場の問題が当面は解決できるのでは?と考えたそうです。
おばあ 譲りの即断即行!
父は、自分の社長に相談した。いや嘆願した。
「絶対に大手工場の稼働に支障がないようにコントロールします。大手倉庫の在庫を借りて、町工場にシンナーを売らせてください」と・・・。
社長は一瞬考えて、こう言われた。
「キミの責任でやるんやろ?やったらええやん」
「会社に損害が出た分は、キミが働いて返せばええ」
「今日で、カバン持ちは終わりやな」
父は、一目散に社長室を駆け出した。
(このエピソードは、父の死後、当時の同僚だった方からお聞きしました)
お借りしたシンナーを、正札(適正価格)で売った
取引先の大手倉庫をなんとか説得した父は、さっそく町工場に走った。
そして、なんと入手困難なシンナーを今まで通りの正札で販売した。
もちろん、注文は殺到。
今まであんなに新規開拓で困っていたのに、噂だけで新規が断るほど増えた。
この頃、母のお腹の中には弟ができており、僕は父の配達用の車の助手席に、チャイルドシートを取り付けられて、一緒に大阪から名古屋や水島(岡山県)まで、ドライブ気分で楽しんでいたそうです。
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