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〔Vol.2〕自分が生まれた昭和47年って、どんな感じだったんだろう?

前回(Vol.1)の通り、直系男子一号として温室で育まれることになった僕ですが、まだ「自覚」はない・・・笑

あさま山荘事件

僕が生まれて1ヶ月頃(1972年2月)の話しで必ず出てくるのは「あさま山荘事件」です。

僕自身はまだ生後1ヶ月ですから、あの鉄球を山荘めがけてぶつけるシーンは、物心ついた頃にテレビの録画放送で観たが、うちの両親はじめ、祖母は【僕が生まれた時】=【あさま山荘事件】と記憶が繋がっているらしく、ことあるごとに当時の話しを聞いた。

このとき、檄寒の浅間山の隊員たちに差し入れされた「カップヌードル」を中継で観た父が、山のように買って来て、結局、ほとんどうちに帰らない父に変わって、叔母や従姉妹たちが食べていたって話しも聞きました。ちなみに僕の母は、母乳に影響してはいけないということで、祖母からカップヌードルを食べさせてもらえず、助かった・・・と言ってました。笑

 

田中角栄 日本列島改造論 → 総理大臣へ

そして、僕も大人になってからとても影響された本が、出版されていた年でもありました。

田中角栄(当時、通産大臣)の「列島改造論」です。


翌年に自民党総裁選挙を控えた田中角栄氏の今でいう「マニュフェスト」のようなものです。
結果として、出版の翌月に佐藤首相は退陣を表明し、7月7日に田中角栄が総理大臣として、田中内閣を発足しています。

って言っても、とくに運命を感じている訳ではないですが・・・笑

 

日中国交正常化 そして僕はパンダまみれに・・・

田中角栄の最初の功績かな?
この年の9月に日中国交正常化の共同声明を発表し、翌月10月に上野動物園にパンダのランラン・カンカンが来園。

記念グッズのパンダのぬぐるみなどが、僕の周りに嫌というほど贈られて来たそうです。

パンダ の ぬいぐるみ ティッシュ カバー ME295

 

このあと、日中国交正常化の是非を問う「日中解散」が行われ、田中内閣初の衆院選挙で、小泉純一郎(元首相)などが初当選を果たしている。

 

僕と同い年の企業

・3月3日:株式会社 ニトリ 創業
・5月12日:ファナック株式会社

ちなみに、おばあ(祖母)から、1月15日は「お前の誕生日だから祝日だよ」と言って育てられました。成人の日だと知ったのは、小学生になってからでした・・・汗

 

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特集:Story of U5

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