〔Vol.1〕当家はじめての「男子」として生まれ育つ
僕の誕生は、日本を揺るがすことはなかったが、父方の実家では一大事であった。
もともと女系で、一番上の叔父から僕の父までの間に7人の叔母がいるが、不運にも叔父のところに男子が生まれず、そして、叔母たちにも生まれない。祖母からすると、内孫も外孫も女子ばっかりだった。
そんなところに、生まれたのが僕である。
父は中学を卒業後、大阪の問屋に丁稚奉公という形で就職していたため、祖母は長崎の岬の先っぽから、大慌てで大阪に出てきたそうです。しかも、数人の叔母や従姉妹をしたがえて・・・。
そして、もちろん「僕の世話」について、仕切るのは父方の祖母でした。
まず、母を含めた女衆の、日中・夜間の当番が決められ、僕は24時間の監視下に置かれる。
僕が何か泣いたり、声を出したりすれば、即座に誰かが気にかけてくれる。
そんな環境で僕は育ったそうです。
だから僕は、今でも叔母や従姉妹に「重かった」とか「よく泣いた」など言われます。
うちの母はよく言います。
「あなたが男として生まれてくれたから、私は嫁として大切にしてもらえた」と。
それほど、田舎の封建的な家系では「直系男子」の存在が重要だったんですね。
これから、少しずつお話しして行きますが、そういう、今の時代からするとちょっと変わった環境で育ったことが、僕という個性(たいした個性ではありませんが・・・笑)を育んだんだと思います。
【僕は決して、僕一人で育った訳ではない】
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