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英雄なき島 2

 

 

前回の続き

南方空の壕では冷酷な掟を定めていた。

百三十人もの人間がいると食料と水が減る。

その減り具合に合わせるように、時々3,4人一組を壕から出していた。

斬込隊と称していたが、完全に口減らしのためであった。

壕の掟としていったん外に出た者は絶対に壕に入れないと定めていた。

壕を出される前に武器として手りゅう弾二発と水筒一杯の水、それと何枚かの乾パンを与えられた。

食料や水が備蓄されているとはいっても限りがある。百人からの兵がいればやがて枯渇する。

そこで口べらしのために3、4人で外に追い出していた。それを、

「斬込隊を編成し出撃する」

と言っていた。その命令をしていたのがT飛行長だった。

指揮の放棄を「総攻撃」といい、全滅することを「玉砕」と呼んだ。

「口べらし」と言えば兵士から抵抗される。だから「斬込隊」と言った。

「斬込隊として出撃しろ」

と命令すれば従わざるを得ない。

手榴弾は自決用でもあった。外に出された兵たちは、渡された手榴弾で自決するか、どこかの壕に潜り込むのだろう。

彼らは米軍が上陸してからほとんど外に出たことがない。水がどこにあるのか、食糧をどうやって探すのか、米軍がどこにいるのか、他の壕に入れてもら

うにはどうすればよいのか、そういう知識は全く持っていない。

彼らが壕の中にじっとしている間に我々は外を転々とした。その過程でこの島で生きるノウハウを知った。

元は同じ隊であったが、わずか数か月の間に生活力が大人と子供ほどに開いていた。

外に出てもどうしていいのかわからない。彼らにとって外に出ることは死を意味していた。

南方空の壕内は、今まで経験した壕とはちがう緊張感が漂っていた。

「大曲中尉、頼みがあります」

顔見知りのひとりが私にそう言ってきた。

「T飛行長の命令で、3、4人の者が斬込隊に出されています。いったん壕を出た者は、

掟として絶対に入れてくれません」

そのことはすでに知っていた。しかし新参者の私にそれをやめろとは言えない。その兵はさらにこういった。

「T飛行長はパイロットですから、敵の飛行機をぶんどって内地に帰る計画を立てています。それを実行するように計画に乗ってやってください」

これは驚いた。

「映画じゃあるまいし、そんなの無理だ。計画に乗ったところで飛行長だってバカじゃないから実行しないだろう。

だいたい、敵の飛行機をぶんどるったってアメリカの飛行機の操縦がわからないはずだ」

そう言ったが兵隊たちは真剣だった。

自分たちがいつ斬込隊に出されるか。それを心配していた。飛行長たちが計画を実行し、この壕から出ていけば自分たちが壕を出されなくてすむ。兵たち

もこの計画が成功するとは思っていなかった。

「うまい具合に飛行長をそそのかしてくれ」

そういう願いだった。私は同情し、

「そんなことはできないが、外の状況を教える程度なら話してみるよ」

と返事をした。

私が南方空の壕に入ってから3、4日したある日。T飛行長から呼ばれた。そして外が今どんな状況なのかを聞かれた。私は、

「壕の上はすぐ飛行場です。米軍が滑走路を拡張して使用しています。小型機が何百機も並んでいますよ」と言った。

事実である。しかしT飛行長は最初信じなかった。30メートルの地下に長期間いるため外の状況がわからないのだ。彼らの頭の中の地図は米軍が上陸す

る前の状態だった。

脱出計画は不可能だとは思ったが、それを言わずに外の状況の説明だけをした。

そそのかしたつもりはなく、聞かれたことだけに答えたつもりだった。

彼らはようやくそれを信じた。新しい情報が入り頭の中の計画が膨らんでいったようだ。

脱出計画

 

情報が遮断された状態で思考すると、とんでもない計画を立ててしまう。

肉迫攻撃、米軍機奪取、兵たちによる筏脱出計画。これらはいずれも壕の中で考えられた。

それは計画と言うより妄想に近かった。

それから3、4日が経った。ついに飛行長以下が脱出を決行した。

その時の人員は、T飛行長、軍医長、陸軍より派遣されたM中尉、予備学生出身の森中尉、従卒2名。

以上計6名であった。T飛行長は、

「敵の飛行機をぶんどって内地に帰る」

と豪語した。

今南方空にいるほとんどの兵たちは、3月8日に総攻撃に出て、

第一関門で米軍と衝突した時に戻ってきた者たちだった。

それ以降、壕の中に入りっぱなしだったため、外の状況が全く分かっていない。
T飛行長らは、何の知識もない状態で壕を出た。

壕内の者は斬込隊の命令で壕を出される心配がなくなったので非常に喜んだ。

壕内にあった異常な緊張感がなくなった。

ところがT飛行長の一団は約2時間で壕に帰ってきた。

米軍の基地を見ておじけづいたのだろう。

さっそく壕の入口で大騒ぎになった。
大尉らが壕に入ろうとした時、兵士の一団が入り口をふさいだのだ。

大勢集まってザワザワギャーギャー騒ぐ声がする。私もその近くに行き、

「どうしたんだ」と聞いてみた。

「飛行長たちは帰ってきました。当然のように入ろうとしましたが、我々は絶対に入れない」

と兵士たちは大変な剣幕だった。

飛行長が表から、「大曲中尉、話に出てくれ」

と私の名を叫ぶ。私が近寄っていくと、兵士たちがさえぎり、

「新参者の大曲中尉の出る幕ではない」

と怒った。

確かに私たちは新入りだったので経緯がよくわからない。

かといってこのまま騒ぎが大きくなると米軍に発見されかねない。私は兵たちに

「入れてやったらどうだ」

と言った。ところが彼らの飛行長に対する憎しみは激しかった。

「俺らの同僚たちがあなた方の命令で斬込隊として壕を追い出されるように出て行った。

あなたの命令で我々兵隊が何十人と斬込隊として出されました。

帰ってきたものにあなたたちはどうしたか覚えているでしょう。

ひざまづいて、土下座して、入れてくれと涙を流して頼んでも、拳銃を突き付けて追い出したではありませんか。

あなたは、これは壕の掟だと言って彼らを追い返した。

同僚たちはどこかで死んでいったのですよ。あの同僚たちのためにも絶対に入れることはできない。

あなたがつくった規則ではないですか。守ってください。我々は絶対に入れません」

そう泣きながら抵抗した。抑圧されてきた兵たちの反乱であった。

話し合いはこじれ、ますます険悪な雰囲気になった。このままでは夜が明けてしまう。

ましてやここは米軍基地の真下である。明るくなってけんかをしていればすぐに発見されてしまう。間に入った私は困って、

「武士の情け、と言う事もあるからまあ今夜だけ入れてやったらどうか」

と説得し、やっと納得させた。

「一晩だけですよ、大曲中尉、責任を持ってくれますね」

私はうなずいた。

もし明日の夜になって将校たちが出ていかなければ殺し合いになりかねない。そうなる前に将校たちを説得するつもりだった。

かつての支配者だった者が敗北し、立場が逆転すると惨めな立場に堕ちる。

いたたまれなくなるのであろう。飛行長らは次の晩、静かに出て行った。

その後の消息はわからない。どこかで自決したのではないだろうか。

 

水攻め

 

T飛行長らが壕を出てからは別段、指揮をとったというわけではないが、それ以降、

「ちょっと外に出ていい空気を吸ってこい」

とか、

「自由に生活しろ」

といった指示を出していた。

「ケツから入れ」とも言った。

「外に出て壕内に戻るときは後ろ向きのまま入り、足跡を手で消しながら入れ」

と言う意味である。

壕内に百人も日本兵が残っていることがわかると、米軍からたちまち攻撃される。

そんなことに注意しなければならないことを南方空の兵たちは知らなかった。

「外に出たらピアノ線や地雷に注意しろ」とも言った。

その地雷に菊田がかかってしまった。米兵が捨てたタバコを拾いにいった時に地雷を踏んでしまったのだ。

死ぬようなケガではなかったが、衰弱した体にはこたえたようだ。菊田は寝たきりで動けなくなった。

私は菊田を壕に入れて面倒を見ていた。私も他人の面倒を見られる状態ではなかったが、

同期と言う事もあって捨てておけず、食事や水を与えたり、包帯をかえたりしてやった。

壕内は熱く、暗く、静かだった。水はまだあったが食糧が乏しくなってきた。飢えが進行し、兵たちは絶望感を強めた。

ある時12、3人が、

「海岸に行って筏を組み、それに乗って内地に帰る」

と言い出した、私はおどろいた。

「海岸に筏を作る材料なんてない。第一、筏を作る前に米軍に見つかる」

私は海岸線を歩いているから状況を知っていた。

「そんなことは絶対に不可能だからだめだ」

と、止めた。しかしその連中は一種の精神病にかかっていた。

いくら言っても聞き入れない。神経がまいっているため本当に筏で帰れると思い込んでいるのだ。
私も海岸線を歩いた時に「筏をつくって北硫黄島まででも行けないものか」と思ったが、とてもそんなことはできなかった。

そう説明しても、何かにとりつかれたようになった彼らは私の言葉を聞かない。

夜12、3人が表に出ようとした。私は前に立って説得した。彼らは制止を振り切って外に出て行った。夜の8時に彼らは出た。

私は全員死ぬと思っていた。ところが次の日の昼頃、

「おーい、おーい」と外から声が聞こえる。

「なんだろう」

とみんな怪訝そうな顔をしている。

「あれは昨日出て行った〇〇だ」

と誰かが言い、

「どうしたんだろうな」

と不思議がった。

やがて事情が分かった。昨日出た12,3人の者は、全員海岸で米軍に見つかってほりょになった。

それだけではなく、米兵から「お前らどこから来たんだ」と聞かれ、

「海軍の壕です」と答えたために「案内しろ」と言われて米軍を連れてきた。

そして米軍から拡声器を渡され、「仲間に呼びかけろ」と命令され、

彼らはそれに従い我々に、「出てこい、出てこい」と投降を呼びかけたのである。

なんという連中だろうか。自分たちが捕虜になるのは仕方がないにしても、我々の壕の場所を教えるとは。

すると外から拡声器で、

「オオマガリサーン、オオマガリサーン、デテキテクダサーイ」

と英語なまりの日本語で自分の名前が呼ばれた。

ぞっとした。捕虜が私の名前を教えたのだろう。体中の毛穴が一気にひらくような恐怖をおぼえた。さらにその後、

「おおまがり、俺だYだ。出てこい。おおまがり、話だけでもしよう」

と同期のYの声が聞こえた。Yは陸軍に派遣になっていたところ、捕虜になったようだ。

私は壕内の兵たちに、

「Yが呼んでいるからちょっと行って話をしてくる。情報をとってくるから待っててくれ」と言ったが、兵隊たちから取り囲まれて止められた。

T飛行長がいなくなった後、たいした指揮もしなかったが、それでも少しは頼りにされていたようだ。「中尉がいなくなると困る」と言う。

米軍に発見されたことで壕内の兵たちは激しく動揺した。しかし出ていかなった。

米軍は攻撃する前に必ず警告した。

「捕虜になれ、捕虜にならなければ攻撃をする」

警告の後に攻撃が始まる。米軍の攻撃は、朝10時から夕方4時半までと時間が決まっていた。

この壕の者たちはこれまでずっと壕に入ったきりになっている人間ばかりである。

だから米軍の攻撃の恐ろしさを知らない。

米軍の攻撃が始まった。攻撃は5、6日続いた。最初は毒ガスを入れる。毒ガスにも3種類か4種類あり、だんだん強い毒ガスを入れてきた。

みな、顔を覆って通路を逃げまどった。壕内はたちまち無秩序になり、裸の兵たちが入り乱れた。

南方空のように大きな壕では風が通るために毒ガスの効きが悪い。基地の下なのでダイナマイトを使うわけにもいかない。業を煮やした米軍は、最後の手

段である水攻めを開始した。

米軍は水攻めの時は必ず前日に予告をした。

4、5日を過ぎた日の10時ころ、日系の米兵が拡声器で、

「明日は水を壕に入れる」

と怒鳴った。私は設営隊の壕で水攻めを経験したから、これは大変だと思った。

兵たちは壕内のあちこちに待避し、じっとしていた。中には水攻めと聞いて

「水が飲める」と喜ぶ者もいた。

水攻めの経験があるといって、どこが安全でどこが危険かなどはわからない。

どこにいれば助かるか、どこにいると死ぬか、それは運だった。

菊田は足を負傷して歩けない。私は入口から連絡通路を入ったところのポケットに菊田を連れて待避した。そして、真っ暗な地下通路に向かって、

「なるべく高い場所にいて水にさわるな」

と大声で叫んだ。

兵たちは壕の奥にノロノロと移動した。壕内は高温、多湿でサウナ状態である。

服など着ていられない。みんな丸裸であった。ふんどしもつけていない。

あばらが浮いた体に水筒をぶら下げて移動する様はなんともあわれであった。

私は将校だったのでふんどしだけはつけていた。

ふんどし姿で壕の隅にすわる私の姿もまたあわれであったろう。

兵隊は素っ裸で、将校はふんどし姿。これはどこの壕でも同じだった。

だから壕に行った時は、ふんどし姿の者を見つけて交渉する。硫黄島ではふんどしが階級章の代わりになっていた。

米軍の攻撃を受けた経験がない兵たちは水を入れるといっても本気にしない。

水がない硫黄島で、壕を一杯にするような大量の水を入れられるわけがないと思っていた。

私は間もなく始まる地獄をじっと待った。

朝になった。米軍はジャズをかけ、拡声器でさかんに警告をくりかえした。

やがて拡声器がやんだ。始まるようだ。

大声を出して警告したい気持ちもあったが、どこにも逃げ場はない。

警告を発するだけの体力もなかった。外が静かになった。間もなくだ。私は息を潜めた。

米軍が海水をホースとポンプで入れてきた。海水は太いホースから滝のように流れ込んでくる。

ものすごい量の海水である。

水は勢いよく壕の幅1メートル半前後の通路を流れ落ち一時間ほどで立っているものの腰のあたりまでになった。
海水が入ってくると兵たちは壕の中の連絡通路を逃げる。早く水の来ない場所を探さなければ助からない。

水攻めを体験したことのない連中はモタモタしていた。

壕内の兵は、驚き、慌てふためき、右往左往した。

真っ暗で顔色はわからないが、おそらく真っ青で唇も震えていただろう。

兵たちは、ぶくぶくと浮かぶ死体や空き箱をかき分け、少しでも高いところを探して逃げまどった。

その時の兵の数は百人くらいだったと思う。
水が止まった不気味な静けさが訪れた。

「水攻めが終わったのかなあ」

と兵たちが腰まで水に浸かってキョロキョロしている。

ちがう。水は窒息させるためではない、火を壕の奥まで送り込むために使うのだ。

これからガソリンを流し込んでダイナマイトを使う。

火は水の上を走ってくる。

わたしは目を閉じて顔を手ぬぐいに埋めた。

海水の入ってくるのが止まってしばらくすると、兵たちが予想もしなかった事態が起こった。
大音響とともに壕内は火の海になった。

火が巨大な生き物のように水の上を走る。

数十人が逃げ遅れた。

逃げ遅れた者たちは上半身を焼かれて真っ赤に燃えた。

兵たちの苦しむ姿が炎の中に影絵のように映る。

「助けて!」

彼らの悲鳴と悲痛な叫びが壕内にあふれた。

その中の一人が炎の中からもがき苦しみながら逃れてきて、

「水、水、水をくれ、助けて」

と絶叫しながら私にしがみつた。

私は身を硬くしてじっとしていた。

まもなくその兵は死んだ。

壕内の光景は無残であった。

まさに地獄絵図であった。

戦争は人間を動物にするといった。

 

しかしこんなむごいことをする動物が他にいるだろうか。

 

続く

 

 

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