それでも人生にイエスと言う
コチラのコラムで、精神科医ヴィクトール・エミール・フランクル先生の著作を紹介するのは2度目のようです
前回は、名著『夜と霧』でしたね
https://books.view.cafe/medicine-psychology/665/
今回何故のご紹介というのは、私事で恐縮ですが、年末から先月末にかけて心が軋み、哀切この上ない気持ちに苛まれていました
前を向くきっかけは、その先月末に鑑賞していた2本の映画
自宅で録画視聴した『男たちの挽歌』
ミニシアターで鑑賞した『この世界に残されて』
そして、その直前に再読していたコチラの名著のおかげです
『それでも人生にイエスと言う』 山田邦男・松田美佳翻訳 春秋社
フランクル先生がナチスの強制収容所から開放された翌年の1946年、ウィーンの市民大学で行った3つの連続講演を収めた講演録というスタイルです
この講演録の趣旨を一言で表現すれば、
「生きる意味という問いに答える」
というものになるでしょうか
ナチスによる強制収容所の体験は、『夜と霧』でも克明に紹介されていますが、その体験を通して生まれた思索を踏まえ、珠玉の講演録として認められた不朽の名著です
「人生は私になにを期待しているか」と問う
人生が出す問いは具体的である
人生こそが問いを出し、私たちに問いを提起している
これらの言葉、冷静に受け止めると、凄くないですか
苦難や絶望に苛まれた際、
「こんな状況で、生きる意味があるのか」
と自らに問うのではなく、
人生そのものから、私たちは問われているのです
そして、
我々は、人生から出されるその問いに答えなくてはいけない
とフランクル先生は強調します
まさに「主客転倒」ですね
また、
人間には、自分の運命や環境に自分なりの態度をとるという自由が与えられている
という慧眼も授けていただけます
生きるとはいつでも課せられた仕事
生きる意味があるかどうかは、その人の自由選択
その事実にどんな態度をとるのか
選択する自由、決断する自由、行動する自由
残された者として、与えられた権利であり、ある意味義務でもあるかもしれません
運命に揺るがず耐える勇気は、運命より強力である
一日一日、一時間一時間、一瞬一瞬が一回きり
どんな状況でも人生にイエスと言うことができる
本の力って凄いですね
小生も再読し向き合うことで、生きる希望と勇気が改めて湧き上がってまいりました
そして求められるのは、
謙虚さと勇気
引き続き、座右の銘である
Memento Mori(死を想え)
Festina Lente(悠々と急げ)
Carpe Diem(その日を摘み取れ)
とともに力強く前進して参ります
今回もお役に立てれば幸いです
ではでは
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