夜と霧
止まるところを知らない、新型コロナウイルス感染症。
根本的な収束の糸口が見えないまま、益々混迷を深めている。
そんな様相です。
今回は、未知のウイルスが、人類を恐怖に陥れていますが、その恐怖とは、まさしく「死の恐怖」。
マズローの欲求5段階説がいうところの、「安全欲求」ならびに「生理的欲求」が脅かされているのかもしれません。
しかしながら、歴史を振り返れば、ある人種に限定して、その人々を恐怖に陥れた史実を忘れてはいけません。
それは、未知のウイルスによるものではなく、ある人類の手によって・・・
本日ご紹介する『夜と霧』は、第二次世界大戦のさなか、ナチスのアウシュビッツ収容所から奇跡の生還を果たした精神科医ヴィクトール・エミール・フランクルによる、過酷な収容所生活での体験を綴った不朽の名著です。
このフランクルの名著を手にしたのは、そんなに遠い昔のことではありませんが、読了した当初は、読み手を選ぶ1冊ではと想っていました。
しかしながら、今回の感染症危機の渦中だからこそ、一人でも多くの方に読んでいただきたいという想いが募り、題材とさせていただきました。
フランクルの一貫した主張は、
どんな人生にも意味がある
というもの。
小生の解釈としては、
その意味は求めるものではなく、意味を理解した瞬間に感謝すべきもの
というものです。
生かされていることに感謝する
ある意味、生きているだけで、儲けものだと思わずにいられません。
もちろん、今回、新型コロナウイルスに感染し、重篤な状況に置かれているご本人ならびにご家族も、少なからずいらっしゃることでしょう。
誰だって罹患(感染)したくないのは、当たり前です。
できればそんな時が来て欲しくない。
そんな万一の事態に備える、フランクルの処方箋は、
それでも、未来に対し希望を持ちなさい
というもの。
問われるのは、やはり、
「感謝」できるか否か
ということのようです。
そして、「問い」という意味では、心に刻むべきこちらのフレーズ。
人間は、人生から問いかけられている
アンテナを立てていれば、必ず「誰か」が必要としてくれているはずなんですね。
そして、その「誰か」とは、今存在している方ではないかもしれません。
未来の誰かかもしれません。
ひょっとしたら、鬼籍に入られた方かもしれません。
いや、「人」という対象ではなく、「思い」なのかもしれません。
フランクルのいう、
運命と向き合う
という考えは、
ご縁と向き合い、大切にする
ことと言い換えることができるかもしれません。
このことをフランクルは、「創造価値」「体験価値」「態度価値」と表現されていますが、これも捉え方の問題・・・自分が納得できれば、それでオッケーだと思います。
我ながら、珍しく、似合わない内容を綴っておりますが、こんな時だからこそ、名著に触れ、想いを巡らすのも、有意義なことなのではないでしょうか。
それでも、恐怖や不安から抜け出せない方へ、フランクルから救いのメッセージが用意されています。
あなたがどれほど人生に絶望しても、人生のほうがあなたに絶望することはない
絶望する前に読んでおきたい1冊。
そんな表現が相応しい逸品です。
ちなみに、小生が読了したのは、巻末の写真がドギツイ、所謂旧版の方ですが、新版もあるようですので、その選択は感性にお任せできればと存じます。
今回もお役に立てれば幸いです。
ではでは。
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