とことんやるから楽しい【父の遺言(2)】
このブログのサブタイトルは「やりたくないことやってる暇はない」です。
普段の僕を見ている人たちには、もしかすると「あれはイヤ、これはイヤ」と、ワガママ言ってるように見えてるかもしれませんね。
僕の人徳のなさが、そう見せてしまってます。
真に楽しいことは
やりたいことのための、キツくて、辛い、やらねばならぬことを
楽しいと思えたときだ。(父の遺言)
今、自分に降りかかっている難問や難題、それに伴う過酷な試練は、そもそも自分の欲求、すなわち、やりたいことに起因する。
やりたいことを諦めれば、その過酷な試練からは、いとも簡単に逃れることができる。
辛いだけなら逃げればよい。
しかし、その先のやりたいことを成し遂げたい気持ちが微塵でもあるのなら、過酷な試練に感謝し、それを楽しむしかない。
楽しむとは、決して楽(ラク)をすることではない。
好きなことだけをして、幸せになれるという、そんなことが昨今言われているようだが、それはやっぱり虫が良すぎる。
好きなことのための、やらねばならないことを、楽しめたとき、はじめて真の楽しさを感じることができる。
そのために実践すべきことは2つ。
この2つは、とくに幼少の頃から厳しく躾けてきたと自負する。よく辛抱してくれた。
1つは、気づいたことは身軽にすぐ行うこと。すなわち「気づき即行」である。
もう1つは、何事も感謝し、喜んで進んで働くこと。すなわち「喜働」である。
やらねばならぬことは、どうあっても責任を持ってやらねばならぬ。
イヤイヤやるも、喜んでやるも、結局はやることになる。ならば、喜んでやった方がよい。
単純明解である。
好きこそものの上手なれ
と、いう言葉があるが、意味を間違えて捉えていることが多く目につく。
好きなことをやることが上達の近道だと思っては、間違いだ。
やらねばならぬことを、試練を与えられたことに感謝し、喜んで取り組むからこそ、より効率的であったり、より良い工夫ができたりし、結果として「上手」だと言えるのだ。
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