子どものせいにして…?~離婚を決意したキッカケ~【私を変えた言葉8】
前回の「誰のための…?~離婚を決意したキッカケ~【私を変えた言葉7】」からの続きになります。
2世帯同居の結婚生活の中で、「誰のための人生なんだろう?」と疑問を持つようになった私。
けれど、まだ小学1年生と幼稚園年中の幼い娘たちのことを考えると、本当に自分の人生を生きていいのだろうか?と思ってしまう。
そうして、また「私さえ我慢すれば…」という思いが湧き出す。
毎日その葛藤の中で悩んでいたころ、長女がどもり始めたのです。本人にどもっている意識はないようでした。
その頃、たった一人ママ友で心を許して話せる友達がいました。子どもたちがどちらも同学年ということもあって、とても気があって、ほとんど毎日のように話してた友達。
その彼女が私に言ったのです。
「あんな、私の親は私が高校卒業したらすぐに離婚してん。でも本当はもっと私が小さいころから破たんしてたのに、母親が私のためにって我慢して、私が高校を卒業したら離婚しようって決めてたらしくてさぁ。
でもな、何かあるとこう言うねん。『お母さんはあんたのために我慢したんやで』って。
私はそれがほんまに嫌やった。私が母親の人生縛ってたん?って自分のこと責めたこともあるよ。
あんたが、子どものためって本気で思えて、納得して我慢できるんやったらええねん。
でも、もし生活が心配とか、不安とかを”子どものせいにして我慢する”んやったら、それは違うと思うねん。
子どもはお母さんが笑ってくれてるのが一番やと思うけどな…」
そして、「人はみんな一人一人違うから、皆がそうやとは言わんけど…。でも、私は離婚した家の子どものほうの立場やったから言わせもらったよ」、と。
暗い顔をしている自分、家でほとんど喋らない自分、そんな自分を母に持ち、どもり始めた長女。
あの時、彼女のあの言葉がなかったら、そんな現実すら「私さえ我慢していれば」「仕方ない」と押し込めてしまっていたかもしれません。
離婚、本当はしなくていいならもちろん、それにこしたことはないです。
両親が揃っていて、仲良くて、愛情を注いでもらえるなら、それが一番なんです。
でも、不仲な両親の元にいることのほうが、子どもにとって辛いこともあるんだと、彼女の言葉でやっと子どもの立場に立って考えることができたと思います。
今、私と娘を見た彼女は
「な、お母さんが笑って生きてるから、子どもらいい子に育ってるやん!」
と言ってくれます。
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