上手く行くときは、ジャズの妙音のようなもんだ 【父の教え】
2015年5月に逝った、父の遺言の最期のページに書いてある内容です。
達筆な父ですが、この頃になると字は震えたりしています。
きっと、痛みに耐えながら必死に書いたんでしょうね。
和して同せず
この頃、たまに記憶が途切れているときがある。
目も霞み、自分の体を支えるのがやっと。
そんな中、なぜか「少年老い易く、学成り難し」という言葉を思い出した。
多くの本を読ませたお前なら知っているだろうが、これは朱子の勧学の詩「偶成詩」の一節だ。
少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰 軽んず可からず
未だ覚めず 池塘春草の夢
階前の梧葉 已に秋声
最初の二行は有名だからわかるだろう。
後段は「青春の夢いまだ覚めやらぬ間に、庭の桐の葉がカサコソと音を立てるのを聴く歳になっている」と言う意味だ。
本当に光陰矢の如しである。
自分なりに70才まで、一寸の光陰も軽んずることなく生きてきたつもりであるが、振り返ると何事を実現できたのか。
どれだけのことを学び、実践し、伝えることができたのかと想う時がある。
人間、歳を重ね、それなりに実績を積むと、どういう訳か自分の言ったことに皆が簡単に頷き同意するようになる。
その同意や賛同が、どれだけ相手のためになったか?未だに反省ばかりである。
和して同せず
無理矢理に自分を押しつけ、相手を自分と同じようにしようとするな。
「和」することと、「同」ずることは、似て非なるものだ。
ピアノを引く時、複数のキーを同時に弾くと「和音」を奏でる。
和するとは、この和音のように、個々のキーは自律しており、そして各々が調和することで一つの音となる。
これが「和」するということだ。
一方で「同ずる」とき、相手は決して自律していない。
ただ、自分の言うがままに同化しているだけだ。
相手の意見を素直に受け入れつつも、常にもっと貪欲に疑問を抱いて、自分なりの考えを持ってこそ、和することができる。
幼い頃から読ませた論語にも「子曰く、君子は和して同せず。小人は同じて和せず」とある。
仕事の仲間や部下も、弟たちも決して無理矢理「同」を強いてはならんぞ。
そう言いながら、父として、長男のお前には「同」を押しつけて来た。
ぜひ皆々様一人一人が誰にも真似できない自分にとって一番美しい声を発し、その声々が調和し響きあい、力溢れる妙音を奏でられるような、そんな存在になって欲しいと願うものである。
最近、ややもすると自分の考えや意見を無理強いしてしまっている。
気をつけて精進しなければと、父の遺言に教えられました。
感謝です。
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